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| 足高城主の岡見宗治の子孫が持つ古文書の中に、平姓の岡見氏系図(下図)と源姓の岡見氏系図がある。岡見氏は、小田氏の分流で、岡見邦知が小田系岡見氏の始祖とされているが、この系図では相馬氏から分流した岡見師房が岡見氏の始祖であったと記されている。
平姓の岡見氏は、平将門の伯父である平良兼の流れを汲んでいる。良兼流の下総千葉氏から分流した下総相馬氏から更に分かれ、岡見の地名を名乗ったとしている。 始祖の岡見師房は、足利尊氏卿に仕え、兄の相馬師胤と共に軍功があったと系図に注釈されている。又、国司の北畠顕家卿が下向した時にも軍功があったと伝えている。これらの時代背景から、平姓岡見氏は、鎌倉末期から建武年間に分かれたものと考えられるのである。 守屋町史には、相馬胤村が応永二年(1294)九子に領地三百町歩を配分したことが記されている。相馬胤氏は胤村の長男であったが、嫡子にたてられたのは五男の師胤であったとしているので、平姓の岡見氏系図とは若干違いが見られる。 |
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