第13号 久野城主の土岐卜千
  
 牛久大仏に隣接している久野城跡は、乙戸川に面する標高20mの舌状台地にあり、本丸跡・土塁及び濠の一部が残存している。久野の観音寺の棟札には、永禄2年(1559年)に野口備前守の支配であり、天正5年(1577年)の棟札には、土岐越前守の名前がある。土岐氏は、室町時代に関東管領の上杉氏の被官として信太庄(江戸崎・龍ヶ崎・阿見・美浦など)へ移り、地頭として信太庄を領有した。そして、土岐氏の進出後、野口氏はその下で働き、徳川時代を迎えると同時に土着し、現在に至ったと考えられる。(野口氏の子孫は現在8戸ほどあり、久野城の郭内に野口一族の墓地がある)

 土岐氏は、江戸崎城・龍ヶ崎城・木原城の三城を中心に1500騎の兵力をもって信太庄地方を領有していたが、久野城主の土岐卜千(ときぼくぜん)は、土岐氏の古い分流として半独立の立場で久野城を中心に下久野城・福田城・下小池城・上小池城を支城として連携させて西側を防備していたものと思われる。(土岐卜千の前の上小池城の城主は、岡見内記であったとの記録が残されている)

 岡見氏は、久野城の周囲(乙戸川の南側)にも領有地をもっているが、久野城のある乙戸川を境に北側を久野土岐氏が領有している。室町時代の岡見氏は、小田氏に代わって上杉氏に従い、上杉氏の没落と共に後北条の旗下にあり、土岐氏と同盟関係にあったのである。

 戦国末期に、岡見氏は婿養子として江戸崎城主の土岐治英の弟頼勝を婿養子に迎え、牛久城主の奥方を土岐氏から迎えるなど血縁関係を強めている。婿養子に迎えた岡見頼勝は、隠居後に入道伝喜と呼ばれ若柴城主であったとも伝えられている。

  


土岐卜千が領有する城跡(国土地理院・航空写真1999年)


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