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| 常総諸大名の兵力は、豊臣秀吉が収集した毛利家文書の中の「関東八州城之覚」及び「関東八州城々ノ覚」に天正十年頃の戦国末期の兵力が記録されている。これらの古文書から牛久の岡見氏と関係の深い小田氏、佐竹氏、結城氏の兵力を見ると次の通りである。 |
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| 北条氏一門と旗下の武将の兵力を記録した「北条家人数付」に記されている。北条氏一門のうち、戦国末に岡見氏の主家であった八王子の北条氏照は、4,500騎の兵力を持っていた。又、高城氏、豊島氏、井田氏、国分氏は、北条氏の同盟軍であり、牛久城の守備を交代で受け持ち、在番衆と呼ばれた。相馬氏は、牛久城への在番の記録は見つかっていないが、牛久沼と鬼怒川で結ばれていたこともあり、北条氏の同盟軍として岡見氏を支援したものと考えられる。 |
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| それでは、岡見氏の兵力は、何騎くらい居たのだろうか? 牛久城や岡見氏は、北条氏の最前線にある戦場にあったので古文書や戦記としての記録が多く残されているが、兵力についての記録が見つかっていない。岡見氏は、牛久城と足高城を中心に、東林寺城や小坂城などの支城を沢山持っているばかりでなく、牛久城の規模は、領有している知行地の割に、大規模で守りに強い堅牢な城になっている。これは、牛久城への交代で在番にあたった兵力を受け入れることも関係しているので、筆者は、この兵力を除いた岡見氏の兵力を、かなり強引ではあるが、江戸時代の軍役をもとに算出してみたいと思う。 江戸時代の大名は、一万石の大名に対して235人の軍役が課せられている。これをもとに考えると、岡見氏の知行地が十三万石と云われる(岡見文書)ので、3千人程度の兵だったことになる。戦国時代の武将は、一騎に足軽が5人〜6人程度ついていたと云われている。これをもとに考えると、岡見氏の兵力は、500〜600騎であったことが想像される。これについて、牛久や龍ヶ崎市史の編纂にたずさわる高知大学の市村高男教授にご意見を伺ったところ、「確証は無いが、岡見氏が足高・谷田部などを支配した最盛期には、300騎程度になっていた可能性は充分にあるように思われる」とのコメントを頂いた。 |
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関東地方の城郭(取手市史から引用) |
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