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| 幕末の牛久藩領は、下の絵図の通りで、「牛久領」3600石の他に、八郷町の「新治領」5850石、八千代村と千代川村の「下妻領」1570石、龍ヶ崎市の「馴馬領」1195石を知行した。藩主の山口氏は、1万石以上を領有した大名として、牛久城中に陣屋を築いていた。
藩領の中心となる牛久領は、牛久市域の西側半分と阿見町の荒川本郷の辺りを含んでいる。市域の東側半分は関宿藩の飛地であった他、由良氏や土屋氏などの旗本領もあったので、牛久藩の「牛久領」は3600石にとどまっている。 龍ヶ崎市の「牛久藩馴馬領」は、馴馬村と川原代(かわらしろ)村に代官をおいて知行していたが、川原代村は岡見氏の知行地でもあり、岡見氏の家臣が多く住まった牛久藩領である。 牛久藩領で最大の「牛久藩新治領」は、八郷町の真家村・宮ヶ崎村・佐久村・瓦谷村・柴間村・野田村・浦須村・大塚村・吉生村・山崎村・狢内村の11ヶ村に5850石の藩領を有し、各村に代官を置いて知行した。八郷町は、水戸街道の石岡の北にあり、柿岡城や片野城などの戦国時代の城跡があり、戦国時代には小田氏と岡見氏に敵対して激しく戦ったことで知られている。(東国戦記) |
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