第3号 戦国時代の牛久沼
  
 戦国時代の牛久沼は、現在の景観とは大きく違っていた。縄文時代に海の水位が高く、海水が浸入していた牛久沼は、岡見氏が活躍した戦国時代にも現在よりも2m〜3m程水位が高かったものと思われる。又、江戸時代の寛永六年(1629年)に鬼怒川の流れが西方に変えられたのであるが、それ以前は鬼怒川と小貝川は一緒になって牛久沼の所を流れていた。下の絵図は、取手市史・通史編1に掲載されている水系図であるが、中央にある牛久沼は、鬼怒川と一体化したように見える。鬼怒川と小貝川が一つになった水量は多く、大河となって常陸国と下総国を分けていた。牛久沼に面した当時の牛久城は、鬼怒川・小貝川に面しており、舟運が盛んであったことが考えられる。戦国時代には、この川に面して、牛久城、東林寺城、若柴城、足高城、守谷城、高井城、下妻城等、たくさんの城が築かれていたのである。
  
戦国時代の水系図(取手市史から引用)

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