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その昔、室町時代のことです。
牛久や茎崎、伊奈、矢田部などの一部を治めていたのは、岡見を発祥の地とする岡見氏の一族でした。この時代は、世の中が乱れに乱れていました。
室町時代も末期になると、争いははげしくなり、岡見氏は岡見城や牛久城を守るために、小坂の愛宕山台地に属城を築きました。小坂城は北に鎌倉街道が通り、南には小野川が流れ、水田に舌のように延び出した台地に造られました。深い空堀と高い土塁を二重に巡らせた、本丸、二の丸、三の丸、物見櫓などのある二万平方メートル足らずのお城でした。
お城には近郷の農家から「きく」という娘が女中奉公に上がっていました。美人ではありませんが気立てがやさしく、働き者でそのうえ器用なきくは、どんな仕事も引き受け、陰日向なく働きましたので大変重宝がられていました。
きくの一日は、みんなが寝ている朝早く、両手に手桶を下げ、南側の裏門をくぐり、階段を下りた所にある井戸からの水汲みに始まります。この井戸の水はきれいで、夏は冷たく、冬は温かく、こんこんと湧き出ていました。きくは、この井戸を見ると井戸端で働く母の姿を思い出し、毎日の水汲みが母に会える思いでした。
ある朝、胸さわぎがしたので、いつもより早く目がさめて水を汲みに行きました。すると西南の方角におびただしい煙が上がっていました。「何だろう」と、目をこらして見ると、これは敵が兵糧を炊いているのではないかと思い、桶を放り投げ「たいへんだ!たいへんだ!」と宿直(とのい)の武士に知らせに走りました。武士も驚いて物見櫓(やぐら)に駈け上がって見ればただ事ではないと感じ、早鐘をついて急を知らせました。
非常の鐘を聞いて、弓、鉄砲を抱えて馳せ参じた武士たちで、城の防備が固まり、不意打ちで小坂城を攻め亡ぼそうとした敵を打破る事が出来ました。
戦勝の祝いの席で殿様が「今度の敵襲来を一番先に知らせたのは誰か、その者が一番の手柄である」といわれました。「女中のきくという者です」と申し上げると「その者には望みの品を褒美に与えよ」といわれました。使いの者から聞いたきくは、辞退しましたが「遠慮はいらぬ」というお言葉なので恐る、恐る「それでは笄(こうがい:笄は「髪をかきあげるのに用いる具」)をいただきたい」と申し上げました。「一生に一度でいいから美しい笄で髪を飾りたい」というのが夢に見た望みだったのでした。
それから数日後、きくの所へ包みが届けられました。早速開けると、蓋には岡見家の紋が輝く桐の箱でした。きくはその箱をおしいただき、震える手で蓋を取ると、べっこう作りに銀の模様のついて美しい笄が入っていました。その夜は枕許に置き、床に入りましたが、うれしくて寝つかれませんでした。次の日からは、前にも増して良く働きました。
その朝は何時もと同じように、水汲みに階段を降りて行きましたが髪には笄をさしていました。こんこんと湧き出る井戸の上に顔を写し、キラリ、キラリと光るのを見てきくは有頂天になっていました。「アッ」と叫ぶ間もなく、笄は湧き出る渦にもまれながら一直線に吸い込まれてしまいました。動転して井戸の中をあちら、こちらと覗きこみましたが見えるのはただ渦だけでした。
その後、きくは何事もなたっかように働いていましたが、楽しかった水汲みが、今では辛い仕事になりました。こんな何日かを過ごしたきくは、「嫁入り」を口実におひまをお願い出ました。突然のことでお城の人々は、驚き、引きとめようとしましたがきくの幸せを祝って、お許しが出ました。
お城を去る日、きくは朝早く、通い慣れた裏門の階段を降りていきました。背中の風呂敷包みの中には、中味のない桐の箱が入っています。
井戸の前で立ち止まると、大粒の涙がはらはらと流れました。
母親は突然帰宅したきくに、「おや お前急に帰ってきてお城の務めはどうしたんだい」と驚いて聞きました。きくは、母の前にひざまづき事の次第を話しました。母も大層がっかりして、「お殿様からいただいた笄をなくした事はお詫びの仕様もない。人に知れたら大変だから誰にも言ってはいけないよ。早く忘れて元気になれ」と言って聞かせました。
その晩、暗くなってもきくは家に帰りませんでした。心配した母親が近所を尋ねて廻りました。村人達も驚いてみんなで探しましたが、とうとう見つける事は出来ませんでした。
翌朝お城の女中が水を汲もうとすると、井戸の底に絣の着物の様なものが沈んでいます。驚いて人を呼んで引き上げてみると、それはきくの変わり果てた姿でした。
母親からわけを聞いた村人達は「可哀そうに、きっと、笄恋しさに井戸の中を覗き込んでいるうちに笄に引き込まれてしまったんだっぺ」と話し合いました。村人は、きくの霊を慰めるために、その井戸の傍らに小さな松の木を植えました。その根元に、母はきくが大切にしていた桐の箱を埋めました。
きくの人柄がのり移ったかのように松の木はどんどん大空に向かって伸びました。
「おお見ろよ、あの松の枝ぶりを・・・・・」
「ほんとだ。おかしな格好だなア」
「何かの格好していねえか・・・・・」
「うーん、そうだなアー」
「笄みてえだねえかー」
「んだぁ、笄みてえだ。」
野良帰りの百姓達が話し合っていました。このことが世間話の種となり、いつしかこの松を「笄松」と呼ぶようになりました。
時は過ぎ、とうの昔に小坂城はなくなりましたが、井戸は、あの頃と同じようにこんこんときれいな水を湧き出し、百姓達の喉を潤したり広い水田に恵みを与えていました。また、風雪に耐えたこの松は、老木ながらも青々と葉を茂らせ、村人の目を楽しませました。とくに雪をかぶった姿は、一段と美しい笄のように見えたということです。
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