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真壁城絵図(真壁町) |
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【概要】 真壁城跡は、筑波鉄道の真壁駅の東側の足尾山西麓台地に位置し、東西約700m、南北約600m、本丸は四重の堀に囲まれている。本丸跡は、南北300m、東西100mの長方形で、標高47mにある。本丸北側には、幅平均20m、深さ1〜2m、最も深いところで7mに達する一つの堀がめぐらされ、水田になっている。その外縁に二の堀が廻らされている。さらにその東の外縁部には三の堀がある。本丸の東側に二の丸、三の丸が設けられている。 城跡の最も東端に鹿島神社の祠が祀られている館跡がある。ここは丘陵尾根を削り、深く掘り込まれた堀、その土を利用して造られたと思われる幅15m、二段築城の高い土塁に守られており、鎌倉時代の主廓であったことが考えられる。 |
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【城館の歴史】 真壁氏は、常陸大掾多気直幹の四男六郎長幹がこの地に土着して真壁氏を名乗るようになってから始まる。当初は、郡内15郷の地頭職に任じられていたが、三代時幹が14郷、六代高幹も時に足利尊氏から9ヶ郷が安堵されている。 天正十二年(1584)、下野国沼尻で佐竹氏に味方して小田原の北条氏直の大軍と対決した時、真壁氏の軍勢は二手、鉄砲200挺と記されている。 真壁城は、関ヶ原の戦いの後、主家佐竹氏の秋田移封に伴って真壁氏もこの城を去り、廃城となった。 |
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【関連図書】 : 「真壁町史」 |
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