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【概要】 若森城跡は、大穂町役場から北へ約1.5km、桜川右岸の舌状台地突端部に位置している。標高約25m、北から東にかけては低地水田が開け、西に谷津が深く入り込んだ3方天然要害の地で、周辺水田面との比高差は10m前後を測る。 本丸跡は、土塁や壕が良く残っている。また、二の丸跡に若森県庁が設置された際(明治2年)、壕は埋められ土塁は造り直されてしまった。 |
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【城館の歴史】 元亀年中(1570〜1573)下妻城主多賀谷政経が築域し白井対馬守が守り、戦国時代には小田氏攻略の陣営として度々重要な役目をはたした。廃城その他は文献もなく不明である。 『佐竹秋田文書』に、義重小田氏攻略の時家臣松野四郎左衛門宛書状に、永禄12年(1569)5月13日義重若森城に在陣したことが記されている。又上杉文書の謙信宛書状の中に、家来の長尾左衛門が若森に陣したことが残っている。 『諸族譜』(多賀谷氏による)に、「元亀元年11月10日、小田の地大曽根、若森、山木、田中、蔵持、海老島をとり白井対馬を |
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【関連図書】 : 「大穂町史」 |
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