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【概要】 上条城(じょうじょうじょう)跡は、阿見町役場から南東へ約3.3kmに位置している。清明川右岸の標高約20mを測る舌状台地の突端部地形を利して築かれた平山城で、回字形の構えをなし面積10a以上の広さを有する。現在、その殆どが宅地に変り遺構などは大部分湮滅していて全貌は不明である。 |
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【城館の歴史】 城の由来については、詳しい記録や文献などが殆どないため確たる事実を把握することはむずかしい。しかし、城の鬼門よけに建立されたと考えられる妙行寺の起り(明徳年間1390〜1393)などから判断すると、寺と同時に築城された事が窺われる。 天正3年(1575)、江戸崎監物が上条城で、土岐軍の攻撃を受け、自刃した様子が『東国闘戦見聞私記』に書かれている。しかし、現在の時点で、江戸崎監物と上条城の絡み合わせは、謎に包まれているので真偽の程は何れとも断定しかねる。 本郭の中心部に、小土塁に囲まれて段差のある100m2位の淋しい場所があり、これが監物自刃の地と伝えられている。しかし、現在は首切場跡と呼ばれているが、監物の話が本当であるならば、処刑場の事ではなく介錯した事に由来するものであろう。 |
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【関連図書】 : 『東国開戦見聞私記』、『清浄心院文書』、『大越家系譜』 |
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