|
|||||||||||||||
|
|||||||||||||||
|
|||||||||||||||
|
牛久陣屋跡略測図 |
|||||||||||||||
|
【概要】 陣屋跡は、牛久市役所から南西へ約3.3km、稲荷川が牛久沼の北端に注ぐ河口の左岸台地上に位置している。牛久沼の湿地に突き出た標高約20mの舌状台地突端部で、北から東にかけて谷津が入った3方断崖(低地との比高差10m程)の要害で地続きの東側には牛久古城跡がある。 台地中央部が緑辺部に比べて1段高くなっている。ここが建物でもあった跡であろうか。陣屋の北側と西側に見られる土塁と帯郭は中世の遺構で岡見氏のものと云われている。 |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
|
【城館の歴史】 陣屋は、中世岡見氏の築いた牛久城の一部に構築されたものと云われている。江戸時代の寛文九年(1669)に牛久藩の2代領主山口但馬守弘隆によって構築され、廃藩置県まで、1万余石を領していた。 このほか、禄高は弘隆の弟に5千石分けている。明治初年の御藩印帳によると、御殿、武器蔵、米蔵、長屋などを含めた総坪数は315坪であった。山口氏は代々菊の間に候し、大阪城番、大番頭に任じられていた。 |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
|
【関連図書】 : 「牛久市史」、「茨城県史」 |
|||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||
|