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牛久陣屋は、寛文九年(1669年)、二代牛久藩主の山口弘隆によって構築されました。 陣屋跡は、牛久城跡内の西端、牛久沼に接する標高20mの台地上の河童の碑があるところにありました。面積は約12,000u余りで、東側山林内には浅い濠及び土塁が南北に一条残存しています。また、南側の濠跡は道路になって残っています。 陣屋内にあった御殿は、13の間数と他の附属施設を持ち、合計95坪の建物になっています。また、幕末の文久三年(1863)改築の時の陣屋図によると、旧建物の総坪数は375坪余りで御殿・長屋・蔵等の建物がみえます。この建物の築造年代は不明ですが、御殿はほぼ敷地の中央に位置し近世中期のものと同様、95坪の建坪になっています。このほか、別に南側には一棟三室の建物があり北側中央には表門、その両側に、門とほぼ平行に長屋が続いています。西側にも仕切られた長屋と六つの蔵がみえます。裏門は東側空濠りに近い中央付近にあります。 文久三年(1863)当時新改増築された陣屋内建物は、表御座敷・西御座敷・白洲・長局・表門・下台所に続く長屋等13ヵ所で、延べ348坪になっています。これは、旧陣屋内建物の1.5倍にあたるものです。又、元治元年(1864)に藩校の正心館(文武稽古場)を創立し、藩士の教育に用いています。 この牛久陣屋は明治四年の廃藩置県の時、牛久県が誕生し、陣屋は牛久県庁になりましたが、県廃合に伴って取壊されました。 −牛久町史 資料編(二)を引用−
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| 文久3年の牛久藩陣屋図(茨城県立歴史館所蔵) | |
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