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牛久藩・山口氏の大名行列
牛久藩の大名行列(牛久市史から引用)

  
由良国繁の子貞重が牛久で亡くなった後、由良氏は領地を没収され、牛久城へは徳川家康に仕えていた山口氏が譜代大名として入りました。
  

山口氏は、周防国吉敷郡出身と伝えられます。
初代藩主の山口重政公は、永禄七年(1564)に尾張国星崎に生れて佐久間正勝(織田信長の家臣)・信忠・信雄に仕えた後、天正十九年(1591)に徳川家康に仕え五千石の旗本に取り立てられました。
山口氏は、関ヶ原役後の慶長六年(1601)に五千石を加増されましたが、慶長十八年(1613)に大久保忠隣事件に連座して改易されてしまいました。しかしながら、寛永六年(1629)に牛久や遠江国に一万五千石を受け、再興することになりました。そして、寛永十二年に重政の三男弘隆が一万石を継ぎ、牛久城内に陣屋を構えました。
牛久藩は、牛久領15ヶ村と飛地の馴馬領3ヶ村、新治領11ヶ村、下妻領5ヶ村を領有することになったのです。
「藩制一覧」によると牛久藩の家数は、1,646軒で人口8,604人。その内士卒は、130軒で434人でした。

−茎崎町市から引用−
  

牛久陣屋跡の縄張図

牛久藩陣屋跡
  
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