文治元年(1185) 岡見氏の祖八田知家、常陸の守護となる(筑波・河内他の地頭になる)
元弘元年(1331) 常陸の守護が佐竹貞義になる
延元4年(1339) この頃、小田三郎朝義が岡見に封じられ、岡見氏の始祖となる
元中8年(1391) 岡見氏が明徳の乱の功で、牛久と足高を賜る
元中9年(1392) (南北朝合一)
永正3年(1506) 岡見主殿介、谷田部に居城する
天文20年(1551) この頃、牛久城築城を開始(岡見城から牛久城へ移転)
弘治2年(1556) 山王堂合戦(後北條氏と結城氏が小田勢の海老嶋城を攻略後、小田城を攻略)
永禄3年(1560) (上杉謙信の小田原攻撃に小田勢が参加、上杉謙信が関東管領となる)
永禄7年(1564) 上杉謙信が小田城を攻撃し、小田氏破られる(小田氏が後北条氏と同盟したことによる)
永禄12年(1568) 海老嶋合戦(小田勢が佐竹氏に攻撃され、海老嶋城が落城)
永禄12年(1568) 手這坂合戦(牛久城主の岡見治資が討死)
元亀元年(1570) 多賀谷氏に攻撃され、谷田部城が落城
天正元年(1573) (室町幕府滅亡)
天正2年(1574) (小田城が落城)
天正5年(1579) この頃、牛久城への在番が始まる(井田氏、豊島氏、高城氏・・)
天正6年(1580) (上杉謙信が死去)
天正8年(1580) 岡見氏が谷田部城を攻撃したが撃退される
天正10年(1582)

(織田信長が本能寺で死去)

天正10年(1582) この頃、牛久城主 岡見治広が「治部大輔」の官職を得る
天正11年(1583) 岡見氏が谷田部城を攻撃したが撃退される(初めて鉄砲使用)
天正13年(1585) (由良氏が金山城を北条氏に奪われ、桐生に退去)
天正14年(1586) 多賀谷氏に攻撃され小張城が落城の後、足高城も攻撃されたが撃退
天正15年(1587) 多賀谷氏に攻撃され板橋城が落城
天正15年(1587) 多賀谷氏が泊崎城を築城
天正16年(1588) 多賀谷氏に攻撃され足高城が落城(城主岡見宗治は牛久城へ敗走)
天正16年(1588) 多賀谷氏から牛久城・東林寺城を攻撃されたが、撃退
天正18年(1590) 豊臣軍(浅野長吉軍)の関東攻めで牛久城が落城 (秀吉が全国統一)
天正18年(1590) 由良国繁が牛久城主となる
慶長3年(1598) (秀吉が死去)
慶長5年(1600) (関が原の戦い)
慶長17年(1612) 由良国繁死去
元和9年(1623年) 由良氏が牛久城を離れ、牛久城が廃城
寛永6年(1629) 山口重政が牛久藩主としてし入封し、牛久藩が再興(明治維新まで続く)
寛文9年(1669) 山口弘隆が陣屋を築く
  
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