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由良国繁画像
  

 岡見氏の滅亡後、天正18年には、新田義貞の流れを汲むとされる由良国繁が豊臣秀吉から岡見領を与えられて牛久城主になりました。8年後の慶長3年に秀吉から国繁に次の表の通り、合計5,435石の牛久領を安堵する朱印状を発しています。

知行地 石高 所在地 由良国繁領の範囲
(龍ヶ崎市史を参照)
牛久 1,545石 牛久市城中 由良国繁領の範囲
高崎 423石 茎崎町高崎
柏戸 351石 牛久市柏田
荒河 461石 土浦市荒川本郷
さげ島 521石 牛久市酒島
まみあな 141石 伊奈町狸穴、牛久市東狸穴
たか岡 112石 伊奈町高岡
岡見 251石 牛久市岡見町
ゆわ崎 210石 茎崎町岩崎
足高 1,096石 伊奈町足高
野堀 198石 伊奈町野堀
かや楠 123石 不詳

  
 関ヶ原の戦の後、牛久城主には徳川家康の譜代家臣であった山口氏に代りました。しかしながら、徳川家が新田義貞の流れを汲むことから、新田の嫡流である由良氏に1千石を与えて旗本として召抱えられることになりました。谷田部町(つくば市)には、赤塚村、梶内村、下原村、新牧田村、稲岡村、中島村、茎崎村の菅間村、そして牛久市内には、東猯穴・東大和田・猪子にも由良氏の知行地を持ち、牛久とのつながりを持ち続けています。
 そして、寛文元年に伊奈町高岡などに1千石の加増があり、合計2千石の高家(幕府の儀式、典礼などを掌る)に列せられています。つくば市梶内と伊奈町高岡には、由良領の陣屋を築き、代官を置いて支配していました。

  
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