由良国繁画像
岡見氏の滅亡後、天正18年には、新田義貞の流れを汲むとされる由良国繁が豊臣秀吉から岡見領を与えられて牛久城主になりました。8年後の慶長3年に秀吉から国繁に次の表の通り、合計5,435石の牛久領を安堵する朱印状を発しています。
関ヶ原の戦の後、牛久城主には徳川家康の譜代家臣であった山口氏に代りました。しかしながら、徳川家が新田義貞の流れを汲むことから、新田の嫡流である由良氏に1千石を与えて旗本として召抱えられることになりました。谷田部町(つくば市)には、赤塚村、梶内村、下原村、新牧田村、稲岡村、中島村、茎崎村の菅間村、そして牛久市内には、東猯穴・東大和田・猪子にも由良氏の知行地を持ち、牛久とのつながりを持ち続けています。 そして、寛文元年に伊奈町高岡などに1千石の加増があり、合計2千石の高家(幕府の儀式、典礼などを掌る)に列せられています。つくば市梶内と伊奈町高岡には、由良領の陣屋を築き、代官を置いて支配していました。