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〇天正十五年
板橋を攻めようとしたところ、城主の月岡玄蕃が降参を乞い、月岡は、豊田郷糟内に移った。
板橋を青木・風見・安田等に守らせた上で、足高攻撃に向い太田郷に到る。
対城を釜田において、先ず岩崎を攻める。
城主の只越尾張守は、城を退き自刃して城兵助命を請う。
多賀谷重経はこれを許諾。
只越が生害し、城を取る。兵を進めて鬼怒川(今の小貝川)の堤を破り、城辺に水を湛えて援兵の通路を絶つ。
そして、木内に命じて中務の祖父の岡見入道を欺いて密かに木内の兵を城中に入れる。
中務は守りきれずに間道を経て牛久に逃れる。
岡見の長臣の田山城守が城に留まり戦死して城が陥落。
ここに、入道に副えて木内をおく。そして、泊崎(岩崎の東南)に砦を構えて、牛久を討たん事を謀る。
この城の西南は湖水が満ち、東は芦生深泥を抱え、北は広野の芝生に続くと雖も、渓谷が廻り、歩騎共に泥。
従って、泊崎より沼を隔てて矢を放ち、砲を飛ばして様子を窺う。 |