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〇天正十四年
小張を囲んで只越全久を殺して城を取る。
河田・平井手を派わしめ、これを守らせ、兵を二手に分け、一方は板橋を押え、もう一方は不意に足高を攻めて三の丸に入る。
下妻の兵、勝に乗じて勇み進み、城殆ど危し。
岡見中務急いで味方に連絡し、牛久城主の岡見治部大輔・若柴城主の若柴戸部・布川城主の豊島参河守・小金城主の高城治部少輔等、足高を救わんが為に出馬。
多賀谷重経は、敢死兵(決死隊)に命じ、密かに城西南水崖の間道を経て壁立の青巖に沿い、そして剣をもって岸を掘り、鉾を杖にして巖に登り、すぐに本丸に乱入せんとする。
岡見中務はよく防ぐ。
佐留布山の廓において、下妻勢利を失う。
多賀谷重経は、城がすぐに陥ることが無い事を知り、軍将等に退却するよう伝える。
敵兵は、追撃して頻りにこれを討とうとしたが、多賀谷重経の後殿(しんがり)の反撃を恐れて諦めた。
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